力を抜くということ。 [日記]

最近神保町のマイソールが混んでいるという噂らしい。
曜日によるのかもしれないけど、確かに混んでる時は通路までめいっぱい使う時も。
マットが良いヤツになったから人気あるのかな?
タオル敷いて使えばレンタル料も取られないし。

でも火曜はわりと空いてるかも。
そんなにぎゅーぎゅーってほどにはならない。
それもあって、つい火曜に行っちゃうんだけど(笑)。


練習を始めると、それまでのおしゃべりがだんだん静かになっていって
そのうちみんなの呼吸音だけになる。
この瞬間が好きだ。
個人個人で別々のことをしているのに空間を共有してる感じ。
ひとりだけどひとりじゃない。

最近『おもさに貞く』という本を読んで、とても印象深い文があった。
416i4sVKPuL._SL500_AA300_.jpg
【力を抜くの“抜く”は、刀を抜くの抜くです。
 力を抜くことで次の動作に移る準備をしているのです。】

そうか、力を抜くということと、力を入れないということは違うんだな。
すとんと腑に落ちた。
例えば同じ言葉を聞いてもそれが誰にでもアドバイスになる訳じゃなくて、
今のわたしに今のタイミングで降って来た言葉だからプラスになったんだと思う。
こういうのって必然の出会いなのかな。

それから“力の抜き方”を意識するようになった。
ダウンドッグで腕の力を抜く。
エネルギーのベクトルは上に向かって腰が伸びる。
そうするには自然とお腹が後ろに引っぱられる。
おお、繋がった。

他のアサナでも、例えばパールシュバッコナーサナは体側を強く伸ばすアサナ。
utthita-parshvakonasana-63.jpg
強くというとつい力が入っちゃうけど、“力を入れるアサナ”ではない。
力を抜きながら、伸ばす。
よく考えたら力を入れたら身体は固くなるんだから、伸びてないんだよね(笑)。

…と、気持ちよく練習してたらなんかのヴィンヤサの時に左の肩甲骨がぐきっ

あ痛ー!

一瞬すごい痛くて肩をぐるぐる回して確認。
おかしなことにはなってないみたいだけど…微妙に違和感。
取りあえず続けてみても大丈夫そうなので、練習再開。
プライマリーも後半すぎてたのでそんなに影響もないし。

で、セツバンダ終えて、はーやれやれとバックベンドしようとしたら先生が

「ん?」
 
 え?

「こないだクランチャアサナまでやったでしょ。」

 ……えーやっぱやるのー。(心の声)

しぶしぶとパシャアサナ。
ふんぎぎぎぎ!と思わず声に出そうなくらい、脛も足首もお腹も肩も腕も「無理!」な感じです。
なんかもーこんだけどうにもこうにも出来ないのって久しぶり♪
先生のアジャストもがっちり。
むしろ先生いなかったらまったく手も足も出ないんですが。

なんとか終えて次のクラウンチャアサナ。
ヴィンヤサして、えーと…

「ヴィンヤサの時に空中で足を変える。」

ええっそんな無茶な!
とも言えず取りあえず練習してみるものの、何をどうするのかよく分からず。
で、アサナへ。
ふー終わったー。

「次、ヴィンヤサして。」


増えたーーー!


てことでいただきました。シャラバアサナ。
shalabhasana-b-94.jpg
これは出来なくないけどひたすらキツいわ。


ヴィンヤサとの繋ぎとか流れとかやり方とか、「どうだっけ?」な感じが久しぶりで新・鮮♪
というか、まだ出来ないことが色々あるのにいいのかなーいいのかなー。
まだ当分セカンドは先だろうと思ってたので、嬉しいのと戸惑いと、ちょっと複雑な気分。

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