マイソール入門。 [日記]
日曜はいつもならマイソールの日なのですが、今月は特別WS月間ということで
今日の講座は『マイソール入門』でした。
基本的に座学ということだったのでいつもより多めの17人の受講生でした。
「まあ入門といっても、いつものように特に話すこととか事前に考えてないんで……
『マイソールクラスに来て下さい』みたいな。終わり(笑)。」
終わったー!
開始5分で終了宣言出ました。
といいつつ、色々な話を織り交ぜて約1時間半の講義でした。
まずは『なぜアシュタンガという名称なのか』から。
アシュタ=8、アンガ=枝、で八枝則ということ。
「ヨガスートラを書いた(とされる)パタンジャリの教えで、実はこれは
全てのヨガに通じることなので特別にアシュタンガだけのものではなく、
パタビジョイスが「これいーじゃん貰っちゃえー」って付けただけなんだよねー。」
とゆう、とても分かりやすい言葉で解説。
そして“8”の各教えについての名称と解説。
ヤマとニヤマは禁忌と歓戒、しちゃいけないこととした方がいいことで、道徳的なもの。
アサナとプラナヤマはポーズと呼吸で、これはいつも私たちが練習してること。
あとのことは、わたしヤマ・ニヤマ・アーサナ・プラナヤマしか覚えてなかったんですけど、
プラティヤハラ=感覚の抑制というのを、“コントロール”と言い換えて説明して
くれたのが分かりやすかった。
あとの3つ、ダーラナ・ディヤーナ・サマディは、どれがどれと説明しにくくて、
高次元の集中・瞑想状態であり、自分の内的なもの。
いずれそこまで辿り着きたい“到達目標”なんだそう。
確かに本を読んでても、この辺わかりにくかった覚えがあります。
日本に入ってきた時にディヤーナは禅、サマディは三昧と訳されたらしいです。
そういえば禅僧の修行とかヨガと通じるとこが多い。
あと、実際のマイソールスタイルでの練習の仕方などもレクチャー。
元々のヨガは師匠が弟子に1対1で教えるものなので、実はレッドクラスのような
形式の方が、教え方としては本来の意義からはちょっと外れてる。
「レッドクラスで、先生がカウントとって全員で流してやる練習もそれはそれで
僕は意義があると思う」だそうです。
そして“1対1”であるので「とても濃い関係」になるので、信頼関係がとても重要。
ここでドロップバックを例にとって説明。
例えバックベンドが軽々出来る背中の柔らかい人でも、立ったまま後ろに反って
床に降りてく恐怖というのはとてつもない。
それをアジャストして『やらせる』というのは、信頼関係がないととてもじゃないけど無理。
例えば、荻窪の朝練でも「わたしは◯◯先生のアジャストじゃないとやらない」と
ドロップバックを拒否する人も実際にいるらしいです。
確かにあれは、柔軟性とか下半身のバランスがどうとかってアサナじゃなく、
『精神力を鍛える』アサナな気がします。
最近やっと面白く思えるようになって来たけど。
あとはアシュタンガをしていくといつか“折り返し点”が来るということ。
「もうこれ以上は進まなくていい」というとこから、年齢が上がるにつれて
だんだんアサナが減っていって、プライマリーしかしないとか、最後には
スリヤナマスカラだけになったりとか。
荻窪でもかなり初めにセカンドに入った人なのに「わたしはプライマリーが好きなの!」と
頑なにプライマリーしかやらなかったので、ついには朝練に来なくなった人がいるとか。
男性はポーズが進むと単純に「やりっ!」的な気分になる人が多そうですね。
わたしはその「進みたくないわ」って気持ち、ちょっと分かる気がする。
まだ自分はそこまでの準備が出来てないって感じとか。
あと、プライマリーは“癒し”、セカンドシリーズは“精神の浄化”と言われてますので
「プライマリーで充分」て気持ちになる人も、そりゃいるんだろうなぁ。
実際プライマリーだってめっちゃしんどいし。
最初のころとか「なぜわざわざこんな苦行をしてるのか」と自問自答してた時とか
ありましたし。
ブジャピダあたりで挫折する人も多いらしい。
プジャピダ〜スプタクルマ〜ガルマピンダあたりが大きな山ですよね。
なかなか乗り越えられない。
あとは質疑応答もあったんですが、取りあえずこんなとこで。
今日の講座は『マイソール入門』でした。
基本的に座学ということだったのでいつもより多めの17人の受講生でした。
「まあ入門といっても、いつものように特に話すこととか事前に考えてないんで……
『マイソールクラスに来て下さい』みたいな。終わり(笑)。」
終わったー!
開始5分で終了宣言出ました。
といいつつ、色々な話を織り交ぜて約1時間半の講義でした。
まずは『なぜアシュタンガという名称なのか』から。
アシュタ=8、アンガ=枝、で八枝則ということ。
「ヨガスートラを書いた(とされる)パタンジャリの教えで、実はこれは
全てのヨガに通じることなので特別にアシュタンガだけのものではなく、
パタビジョイスが「これいーじゃん貰っちゃえー」って付けただけなんだよねー。」
とゆう、とても分かりやすい言葉で解説。
そして“8”の各教えについての名称と解説。
ヤマとニヤマは禁忌と歓戒、しちゃいけないこととした方がいいことで、道徳的なもの。
アサナとプラナヤマはポーズと呼吸で、これはいつも私たちが練習してること。
あとのことは、わたしヤマ・ニヤマ・アーサナ・プラナヤマしか覚えてなかったんですけど、
プラティヤハラ=感覚の抑制というのを、“コントロール”と言い換えて説明して
くれたのが分かりやすかった。
あとの3つ、ダーラナ・ディヤーナ・サマディは、どれがどれと説明しにくくて、
高次元の集中・瞑想状態であり、自分の内的なもの。
いずれそこまで辿り着きたい“到達目標”なんだそう。
確かに本を読んでても、この辺わかりにくかった覚えがあります。
日本に入ってきた時にディヤーナは禅、サマディは三昧と訳されたらしいです。
そういえば禅僧の修行とかヨガと通じるとこが多い。
あと、実際のマイソールスタイルでの練習の仕方などもレクチャー。
元々のヨガは師匠が弟子に1対1で教えるものなので、実はレッドクラスのような
形式の方が、教え方としては本来の意義からはちょっと外れてる。
「レッドクラスで、先生がカウントとって全員で流してやる練習もそれはそれで
僕は意義があると思う」だそうです。
そして“1対1”であるので「とても濃い関係」になるので、信頼関係がとても重要。
ここでドロップバックを例にとって説明。
例えバックベンドが軽々出来る背中の柔らかい人でも、立ったまま後ろに反って
床に降りてく恐怖というのはとてつもない。
それをアジャストして『やらせる』というのは、信頼関係がないととてもじゃないけど無理。
例えば、荻窪の朝練でも「わたしは◯◯先生のアジャストじゃないとやらない」と
ドロップバックを拒否する人も実際にいるらしいです。
確かにあれは、柔軟性とか下半身のバランスがどうとかってアサナじゃなく、
『精神力を鍛える』アサナな気がします。
最近やっと面白く思えるようになって来たけど。
あとはアシュタンガをしていくといつか“折り返し点”が来るということ。
「もうこれ以上は進まなくていい」というとこから、年齢が上がるにつれて
だんだんアサナが減っていって、プライマリーしかしないとか、最後には
スリヤナマスカラだけになったりとか。
荻窪でもかなり初めにセカンドに入った人なのに「わたしはプライマリーが好きなの!」と
頑なにプライマリーしかやらなかったので、ついには朝練に来なくなった人がいるとか。
男性はポーズが進むと単純に「やりっ!」的な気分になる人が多そうですね。
わたしはその「進みたくないわ」って気持ち、ちょっと分かる気がする。
まだ自分はそこまでの準備が出来てないって感じとか。
あと、プライマリーは“癒し”、セカンドシリーズは“精神の浄化”と言われてますので
「プライマリーで充分」て気持ちになる人も、そりゃいるんだろうなぁ。
実際プライマリーだってめっちゃしんどいし。
最初のころとか「なぜわざわざこんな苦行をしてるのか」と自問自答してた時とか
ありましたし。
ブジャピダあたりで挫折する人も多いらしい。
プジャピダ〜スプタクルマ〜ガルマピンダあたりが大きな山ですよね。
なかなか乗り越えられない。
あとは質疑応答もあったんですが、取りあえずこんなとこで。